2016年10月29日 土曜日
6月中旬のことであった。何気なくパソコンのネットニュース一覧を斜め読みしていると、「120年に一度咲スズタケが開花」という文字が目に飛び込んできた。今年の1月に「-日本列島-花乃聲」を発表したばかりの私にはとても刺激的な言葉であり、響きだった。目を見開いて文字を追っていくと、“スズダケ”という竹の一種の花が、愛知県の設楽町で120年ぶりに咲いているというではないか。
私は、体の中の血がたぎるような感覚を覚えた。これまでの100年以上も、そしてこれからの100年以上も、この花を見ることはない。しかし今、「自生する花」に格別の思いで取り組んでいる今日のタイミングで、まさに出会うことがかなわんとしている。何という巡り合わせであろうか。
翌日の早朝に、私は車を走らせていた。東京から愛知県まではけっこうあるが、とてつもない花に出会える歓びで、一気に走り抜けた。若かりし頃の初めてのデートとどちらの興奮度が高かいであろうか、と思うほど胸が高鳴り続けた。
昼過ぎに、山間の静かな池の湖畔に辿り着いた。未舗装の駐車場には、車が数台止まっていた。小さな建物には管理人さんがいて、釣り人にとって隠れた人気の池ということがわかった。スズダケのことを尋ねると、池の周囲の道端に咲いているという。そそくさと撮影の身支度を済ませると、私は注意深く歩き始めた。するとまもなく、道端に枯れた笹の茂みが目に留まった。その背丈は、膝上から腰あたりの高さであろうか。しゃがみ込んでよく見ると、枯れた笹の上部から細い茎が伸び、その先に浅黄色の細長い米粒のようなものが付いているではないか。それは、あまりにも小さく、あまりにも質素な姿ではあった。だがじっと見つめていると、それゆえにいっそう神秘性が高いようにも思えた。この出会いが最初にして最後だと思うと、なんだかじんじんと胸が熱をもち始めた。まさしく、「一期一会」の重さであった。