2015年9月12日 土曜日
8月のある日、何気なくテレビをつけると、“手紙で結ぶ宿”という内容の番組が流れていた。舞台は、岩手県野田村の静かな山間に佇む宿である。その宿は築150年ほどの南部曲がり屋で、50代(という紹介だったと思う)のご夫婦が営む部屋数3部屋の民宿であった。凄い山奥などというわけではなく、車で行くこともできて、バス停からも徒歩5分である。だが驚いたことに、この民宿には電話はなく、もちろんインターネットもなく、予約などの連絡はすべて手紙によって行われるということであった。
ご夫婦は、送られてきた手紙を読み、申し込んできた人を思い、料理などを考え、やがて出迎えるという。「時間をかけてお客さんと近づいていくことが嬉しい(“嬉しい”だったか、“大切”だったか、記憶は定かでない)」ということを、奥様が話されていた。
何事にもスピードが求められる今時、手紙という最も遅い伝達手段によって成り立っている宿が、この日本に存在している。しかもこの宿には、国内外に熱烈なリピーターがけっこういるという。
現代社会では、経済活動を含めてできるだけ速い対応が求められ、速ければ速いほど高く評価され、価値が生まれる。その結果、伝える側も電話ではなく、一方的に伝達を遂行できるメールという手段が重宝されることになった。そしてたとえ友人であっても、メールの返事が遅れることは円滑な関係を保つ上でマイナス評価となってしまう。まして、返事が24時間を超えてしまうことなどは、大方は許されないだろう。
迅速なやりとりというものが、政治・経済活動の範囲を超え、私生活にまで求められるようになってきたのはいつからであろうか。私たちがこのようにせっかちになってしまったのは、どうしてなのだろうか。
そんなことを考えていたら、ふと“熟成”なることばが浮かんできた。時間を費やし、時間を酵母として発酵させ、熟成することによって形成される大切なものが、まだまだたくさんあるのではなかろうか。今夜は久しぶりにワインでも飲みながら、ゆっくり考えてみたくなった。