2015年8月29日 土曜日
7月に、山形県酒田市にある『土門拳記念館』を訪れた。実は、土門拳(敬称省略で恐縮)は私が敬愛する写真家である。これまで、写真雑誌のインタビューなどで「尊敬する写真家は誰か」という質問には、その名前を挙げてきた。私がアマチュア時代に、ふとしたことで一冊の写真集「筑豊のこどもたち」を手に入れたときから、敬愛の念は築かれた。涙を流しながらシャッターをきったという人間性と姿勢、そして必死に生きるこどもたちの作品のチカラに、私は大きな衝撃を覚えたのを今でもはっきりと覚えている。
土門拳記念館では、「戦後70年特別企画・土門拳が視た昭和」の企画展が催されており、モノクロ写真が160点あまり展示されていた。「筑豊のこどもたち」や「ヒロシマ」の作品も含め、激動の昭和をとらえた数々の作品を見つめながら、久しぶりにいいしれぬ感動に酔いしれた。
その数日後に、今度は東京で『林 忠彦 写真展:カストリ時代1946-1956 & AMERICA1955』(キヤノンギャラリー)を鑑賞できる機会に恵まれた。ご子息の林義勝さんは、私がとても親しくさせていただいている写真家である。戦後のアメリカの描写も新鮮だったが、何よりも林忠彦(これまた敬称省略で恐縮)の代表作である「カストリ時代」は、力強かった。戦後のカオスの中で躍動的に生きる日本人の姿に強く引き寄せられ、その時代のエネルギーの磁力に触れることができた。
土門拳と林忠彦という二人の作品を続けて鑑賞したあとに、あらためて“写真のチカラ”を考えさせられた。
今や撮影機材はデジタルカメラが主流となり、解像力などの進化は目を見張るものがある。毎年のようにカメラの画素数の競争が繰り広げられ、誰もが精緻な描写ができるようになった。また、画像処理ソフトも高度化し、誰もがコンピュータグラフィックデザイナーになりつつあるようだ。しかし、である。いろいろなフォトコンテストで審査をしていても、心に響く力作が前よりも増えたという実感は、ない。
一方、土門拳・林忠彦の二人のスナップ作品は、35ミリ一眼レフカメラと旧フィルムで撮影されたものである。はっきり言って、画質などは現在のデジタル作品に比べてかなり劣っている。けれども、迫ってくる作品のチカラは、圧倒的に凄い。
作品のチカラは、何か。私たちはその根本なるものをもう一度考え、再認識すべき時にさしかかっているように思える。