2013年4月3日 水曜日
「私が現在、写真家として一番難しいことと受け止め、一番重要なこととして取り組んでいること、それは技術的な問題ではありません。では何かというと、被写体と向き合ったときに“心が感動で震えているか”ということです。マンネリ化と戦い、感動喪失病にならずに、いつも“感動してシャッターをきれるか”という課題に力を注いでいます」
『櫻乃物語』の期間中に4回のギャラリートークが開催されたが、4回目の最後の締めくくりに、私はそのようなことを話した。話をしながら、脳裏には7~8年前のある出来事が浮かんでいた。それは、ある写真雑誌編集者と裏磐梯でロケをしたときのことであった。そのときは、湖の朝景色を撮影していた。きれいな朝焼けにはならなかったが、光の変化もあったので私はフィルムで170カットほど撮影したのだった。手を休めて編集者と「赤くは焼けなかったけどなかなか良かったね」と話していると、二人のベテランらしき写真愛好家が寄って来られ、「今朝はダメでしたね。私たちは一枚もシャッターを切りませんでした」と自慢気に話された。おそらくその言葉に隠された真意は、「私たちはこれまでたくさんの朝焼けを撮ってきました。今朝の状況では、作品にしたとしてもそれほどの力作にならないと見抜きました。それで無駄なシャッターをきりませんでした」ということだろう。しかし私は、「そうですか。でも私は、5本ほど撮りました。どんなときでも感動してシャッターを切るようにしないと、だんだん写真が撮れなくなってしまうじゃないですか」と返答した。二人は、少々ばつの悪い顔をして立ち去った。この一件を思い出しながら、“感動喪失病”との闘いのことを話したのだった。
ギャラリートークの参加者の方々が、はたしてどのような受け止め方をされたかは、分からない。だが、私自身が本当に嬉しくなったことが、ひとつ起きた。それは、帰り際にギャラリーの社員の一人から私にかけられた言葉だった。
『私、今日のお話を聞いて、とても感激しました。私は毎日の仕事を、一日の生活を、あまり感動することなく平々凡々とやり過ごしてきたように思います。でも、それではダメなんですね。もっと感動して向き合わないと、変わらないんだと分かりました』
私は、驚いた。写真愛好家の参加者にお話しした“撮影における心のあり方”を、社員の方が「生き方」の問題として受け止め、そして感動されたことに、その反応の大きさに驚いた。次の日から、その方の表情に、変化が生まれた。今までよりも明るく、輝いているのだ。心の中で眠っていた何かに灯が点ったように、私には感じ取れた。
おかげで私も、“感動喪失病に負けないようにしなくては”との思いを新たにし、気持ちを引き締めることができた。