2013年10月30日 水曜日
「どうも、ご心配をおかけしました」と、Mさんが少々バツの悪そうな表情で、しかしさわやかな微笑みを交えながら、私に話しかけてきた。
この話は、八月上旬に私が指導した九州撮影会での出来事である。由布川峡谷の撮影に始まって、鍋が滝・龍門の滝、菊池渓谷などを巡る二泊三日の撮影会であった。二十名近い参加者のほとんどは関東近辺からの参加であり、羽田から大分まで飛行機で移動し、バスに乗り換えて撮影会はスタートした。最初の撮影地は、苔むした断崖絶壁が人気の由布川峡谷だった。渓流での撮影は比較的に涼しいとはいえ、汗が流れるほど気温は高い。今年は猛暑で、毎日のように熱中症の事件が報道されていた。
参加者の中に、仲の良さそうな二人のご婦人がいた。私にフレーミングの意見を求めたりしながら、心から楽しそうにシャッターをきっていた。やがて二時間ほどの撮影を終え、温泉宿に向かうことになった。だが途中のトイレ休憩のところで、先ほどの二人連れのひとりMさんが体調不良を訴えた。しばらく休んだが回復には至らず、連れの友達が付き添ってもう少し休んでからタクシーで追いかけることになった。しかし最終的には救急車を呼んで病院に搬送され、入院することになったということが、夕食時に添乗員から知らされた。熱中症だという。
長い写真家人生で、撮影会参加者が入院を余儀なくされたことは初めてのことであり、私の心は痛んだ。だが幸いにも症状は軽く、翌日の夕方には退院できることになった。二日目の撮影が終わって宿に到着すると、その二人が玄関で待ち受けておられたのだった。
私は退院できたMさんの手を握り、「たいへんだったですねぇ。でも、大事に至らず、本当に良かったです」と声を掛けた。そして続いて、「明日はどうされますか」と尋ねた。明日の早朝は、参加者が大きな期待を寄せている“菊池渓谷の光芒”を狙うことになっていたのである。すると、「私は無理をせずにゆっくり休み、帰りの熊本空港で合流させていただきます」という返事が返ってきた。「そうですか」と、私は納得して応えた。それから、あらためて相方のTさんに「ご苦労様でした。あなたはもう安心して、明日からの撮影に参加されますね」と声をかけた。すると、「いえ、彼女を一人にはできませんので、私も熊本空港で合流させていただきます」というのであった。予想外の返事に、私は驚いた。
今回の参加費用は十万円を超えるもので、決して安くはない。だが、撮影できたのは初日のたった二時間だけである。その後は、三十時間ほどずっと友人に付き添い続けており、そのことだけでもすばらしい友情だと誰もが賞賛するだろう。それなのに、退院して安心できる状況になっても、自分だけ撮影に参加したのでは友人に申し訳ないという。
Tさんは、続けて口を開いた。
「今回の撮影会参加者募集で、撮影地を紹介する先生の作品が三点ありましたよね。その中の由布川峡谷の写真に魅せられて私たち二人は参加したんです。その写真が撮れただけで、私たちは十分なんですよ」
そのことばを聞いて、私はもうそれ以上何も言うことができなくなった。
最終日の早朝撮影は、菊池渓谷で見事な光芒に遭遇することができた。参加者は感動に包まれ、歓声を上げてシャッターをきっていた。やがて撮影会が終了し、参加者とお別れをした。その後、ホテルの私の部屋に、今回の撮影会を手伝ってくれた写真愛好家が四人ほど集まった。お手伝いのお礼に、私がそれぞれが持ち寄った作品を講評するという勉強会であった。
私は冒頭に、今回の事の顛末を報告した。それを聞き終わった四人は、口々に、“私がTさんの立場だったら、間違いなく撮影会に復帰させてもらいますねぇ”と心情を吐露するのだった。そして、誰かが“それほど深い友情って、本当にあるんですね”とため息混じりにこぼした。そのことばに、私も含めて全員が頷いたのだった。