2013年8月13日 火曜日
裏磐梯(福島県)のペンション・サッチモで夕食を終える頃、季節外れの雪はいよいよ本降りとなってきた。今日は4月20日、福島市や郡山市の満開の櫻を満喫してきたところである。暗闇を背景に、窓際を幻想的に流れる雪を見つめていると、私の胸のざわつきはいよいよ大きくなっていった。そういえば、9年前の4月末の時も、まさに同じ光景であった。そのときに撮影した猪苗代町での櫻と降雪の作品が、写真集『櫻乃聲』の大切な作品として収められている。今回もまた、貴重なシャッターチャンスを迎えようとしているのではないか、その期待が次第に高まっていった。
翌朝、夜明け前に起きると、雪はまだ降り続いていた。驚くことに、すでに15㎝以上も積もっているではないか。私の心臓は、一瞬にして激しい鼓動へ転換した。愛車の雪を払い、急いでエンジンをかける。同時に、頭の中ではどこの櫻に向かうべきかを滅多にない思考のスピードで検討し始めた。猪苗代や喜多方、福島などの桜も脳裏をよぎったが、最終的に三春町と郡山市に行くことを決めた。これほどの大雪では風景全体が雪景色と化し、桜の光景とは思えない映像になってしまう。あくまでも櫻満開の季節感と貴重なシャッターチャンスであることを訴えるには、櫻の色がピンクであることが望ましい。そう分析し、紅枝垂れ系の櫻が何本もある地域を選んだのだった。
幸いにも、愛車はスタッドレスタイヤを装着していた(いざというときに備え、毎年、櫻旅が終了するまでは冬タイヤにしている)。すでに世の中は、大混乱に陥っていた。カーナビの情報では、東北自動車道の一部が事故のために通行止めとなっていた。二時間ほどで三春町に入ると、最初に“滝桜”に向かった。日本一の人気を誇る滝桜は、吹雪の中で淡い桃色を雪に滲ませながら幻想的に佇んでいた。この三春町でも雪は既に10㎝以上も積もっていたが、5~6人が傘を差しながら櫻を眺めていた。まだ朝の8時前だが、通常ならばすでにたくさんの人が花見をしているところだ。私はフィルムカメラとデジタルカメラの両方で、何かにとりつかれたようにシャッターをきり続けた。あきらかに通常のスピードではなく、ギヤが違う。わずか10分ほどで撮影を終えると、次は近くの“紅枝垂れ地蔵桜”(郡山市)に向かった。
降雪は激しく、本格的な吹雪である。濃いピンク色の花びらとの饗宴に、私は益々酔いしれた。ここでは、一時間以上もかけて心ゆくまで描き続けた。やがて合流した地元の写真愛好家Kさんの話では、自宅からここまで来る間に何台もの車が事故を引き起こしていたという。タイヤの問題だけではなく、心の動揺も大きく影響しているのではないか。かくいう私も、裏磐梯を出発した直後に、スリップして雪に覆われた土手にぶつかるというアクシデントに見舞われていた。幸いにも愛車には傷ひとつ着かなかったが、そのことでここまで慎重に運転して来れたように思う。
“紅枝垂れ地蔵桜”の後は、やはりピンクの花を纏った“忠七桜”(郡山市)を訪れた。雪はいつのまにか止んでおり、音も風もない静かな銀世界の中で、桜は妖艶なる雪化粧の姿を披露していた。これも、感無量であった。ひと枝の部分を描いた作品が、「作品館」の「桜-Ⅱ」に展示してある“雪衣”である。
この後に、裏磐梯から駆けつけてきたペンション・サッチモの染谷夫妻と合流し、“五斗蒔田の桜”(郡山市)へと駆けつけた。この桜は昨日も撮影していたのだが、一日違いで全く別世界の桜を描き続けていることに、不思議な感覚を覚えた。“昨日は桜の下に子供を抱いた若いお父さんが居たなぁ”などと想いながら、シャッターをきり続けるのだった。
時は既に、午後二時に迫っていた。ここでの撮影で区切りを付け、私は東京に戻ることにした。何しろ、明日は某写真雑誌の月例フォトコンテストの審査日なのだ。降雪が一日ずれていたら、この出会いは無かった。五カ所の桜を描くことができたことに、私は感無量であった。遅いお昼を染谷夫妻と食べながら、「鈴木さん、裏磐梯では30㎝近い積雪になっているよ。30年近く居るけれど、こんな事は初めてだよ」と聞かされた。“私は、三十年に一度の光景に遭遇できたのではないか”と奇跡的な出会いの大きさをしみじみかみしめながら、今回もまた櫻の神様に導かれたのだと、深く感謝した。