北海道美瑛町の“青い池”の撮影を終え、カーナビを見つめながら「さてどうするか」と、思案した。朝の九時半を過ぎたところだが、苫小牧発のフェリーは夕方の6時45分で、時間はたっぷりある。広島県のホタル撮影から始まった長旅は、今日が撮影最終日であった。朝の三時過ぎから富良野町で撮影を開始しており、達成感も生まれていた。どこかでゆっくり温泉に入りたいと思ったところ、4キロほどのところに白金温泉があったのを思い出した。
そこにはいくつかのホテルが道沿いに並んでおり、とある瀟洒なホテルの駐車場に車を止めた。入り口には、「日帰り入浴、大人1000円」という看板があった。少々微妙な料金だが、良しとしてフロントに向かう。「入浴をお願いします」と、私。「すみませんがただいま清掃に入りまして、ご入浴は11時半からになります」と、フロントの人。「そうですか、わかりました」と、私。残念、ついていない。外に出てあたりを眺めると、近くに観光協会の建物があるのが目に留まった。中に入ると、窓口に人影はない。しばらくして現れたご老人に、今の時間に入れる温泉を尋ねると、「すぐこの上に健康温泉センターがあるよ。ただし、シャンプー・石けんはないよ」と、教えられる。
そこは、ひなびた施設だった。建物の軒下に横一列に6~7台可能な駐車場があり、車が二台駐車していた。先ほどのホテルとは違い、所々に草が茂っている。駐車場脇から建物の二階に続く石段を昇ると、どうやら玄関らしい。だが、自動扉ではない。押しても引いても、開かない。やがて左右に開くようにすると、ようやく動いた。一歩中に入ると、ガラス越しのすぐ向こう側で三人(爺さん二人、婆さん一人)が戸惑っていた私を見てケラケラと笑っているのに気づいた。“おいおい、笑っていないで教えなきゃ”と心の中でつぶやく。だが不快な気持ちはなく、私の顔もにやっと崩れている。
受付には、これまた爺さんがいた。「おいくらですか」と、私。「300円だよ」と爺さん。むむっ、安い。「あんた初めてかね」「そうです」「じゃあ、ここに名前と住所、あっ、住所は都道府県でいいから書いてや」。何と、風呂に入るのに名前と都道府県名を書かされるとは、もちろん初めての体験だ。「風呂はこの階段(フロアー中央にある)の下、休憩所はこの階の左奥」と、指を指した。言い終わるやいなや「便所はこの奥」と、後ろから先ほど笑っていた婆さんが階段の先を指した。「この便所がわからんのだがなぁ」と、連れの爺さん。「便所のトビラを開けておくとトイレのマークが見えてわかるんだがなぁ」と、受付の爺さん。何という訳のわからない会話だ。「わかりました」と私は返事をして、すぐに階下の風呂に向かう。
風呂は、階段を下りた廊下の十メートル先の右側にあった。入り口のドアを開けると、すぐに六畳ほどの狭い脱衣所があった。もちろん、ロッカーなどはなく、10数個の脱衣篭が棚に並んでいる。服を脱いでトビラを開けると、浴場はこれまた狭く、全体で八畳ほどであろうか。入り口のすぐ左手に洗い場が窮屈そうに三人分あるが、手前の洗い場に座ると出入りする人と触れ合うほどの位置関係にある。湯船には、三歩で到達できる。その風呂場には、洗い場の真ん中で体を洗っている細身の爺さんと、湯船の正面奥で湯にはつからずにあぐらをかいて壁に寄り掛かっている爺さんがいた。小太りで、なおかつ強面で,じっとこちらを見ている。静かな沈黙が狭い風呂場を支配している。
湯船脇の3番目の洗い場で、私は体を洗い始めた。体が触れ合いそうになる隣の爺さんにシャワーがかからないように、そして風呂桶の流し湯が爺さんの足にかからないように気を遣う。風呂桶は、ケロリンとかかれた黄色いセルロイドのものだ。そういえば、これまでにも古い温泉では何度か同じケロリンの風呂桶を使った記憶が蘇った。どうしてなのかなぁ、などとぼんやりと、しかしそれ以上は深く考えることなく体を洗い終える。やがて湯に入ると、熱い!おそらく43°だろう。ぬるま湯が好きな私には、けっこう熱い。だが、上から押さえつけられるように、首まで体が沈む。2メートルほど前であぐらをかいている強面の爺さんの視線を感じながら、とろっとした泉質を体感する。見た目は飯豊温泉の鉄分の入った赤褐色を薄めたような色合いだが、肌に良さそうなぬめりを感じる。
2分ほどで熱さに耐えるのがしんどくなった私は、声を出さずに1、2、3と数え始め、100で湯船から這い上がった。“ちょっと待てよ、子どものような今の仕草は何だろう”と、自分自身不思議になった。そのとき、ずっと洗い続けていた細身の爺さんがようやく洗い終わったと思いきや、私の目の前で「じゃあ、先にでるわ」と背を向けたままで急に大きな声を出した。私は驚いた。まさか私に話しているのか。そのとき、「そうか、早いなっ」と、私の後ろから強面の爺さんが返事した。なんだ、二人は知り合いだったのか。
脱衣所に入って振り返ると、いつの間にかあぐらをかいていた爺さんが狭い洗い場で大の字に寝転んでいるのが、ドアのガラス越しに見えた。股ぐらには薄いタオルが無造作に掛けられている。ひょっとするとこの爺さんは、大の字になりたくてずっと待っていたんじゃないのか。そう思ったとき、私は自分のおしりを両手で何故か“ぱんぱん”と二度叩いてしまった。むむっ、何だこれは、まるで力士が仕切りの時にする仕草ではないか。こんなことをするのは、生まれて初めてであり、自分でも訳がわからない。不思議な何かがこの浴場にいて、見えないチカラで私を開放的にしているかのようだ。
ドライヤーもないので、着衣は早い。肝心の温泉の泉質を確認しようとしたが、表示板が無い。それから階段を登り、受付の時に教えられた休憩室に向かった。パソコンを持ってきたので、メールのチェックなどをする予定でいたのだ。ドアは開いており、中からお婆さんたちの元気のいい話し声が聞こえてきた。中に入ると、そこは30畳ほどの大広間であった。浴場は小さいのに、休憩所は不釣り合いに広いではないか。長テーブルが8卓ほど配置されてあったが、テーブルに体を寄せている人はいない。しかし、会話は威勢良く続いている。よく見ると、四人のお婆さんがあちらこちらのテーブルの脇で寝ており、寝ながら会話をしているのだった。不思議な光景を目の当たりにした私は、急にこの温泉での出来事をブログに書かざるを得ない使命感を覚えた。いつも数ヶ月も前のことを書いている私がリアルタイムで書くとは、本当におかしい。だが、書かざるを得ない使命感を覚えていた。
書き始めてからまもなくすると、5人目のお婆さんが風呂からあがってきた。どうやら自分のテーブルが決まっているらしく、そのお婆さんは私の斜め右後ろのテーブルに着くやいなや、「あら、誰だろ、ありがと」と言った。横目で覗くと、テーブルにはヤクルトが二本置いてあった。だが、他のお婆さんたちは、誰も返事しない。“あんたたちの誰かでしょ、誰も返事はしないんですか”と私はこころでつぶやく。そのうちに5人目のお婆さんは、丸いマルボーロのようなお菓子を配り始めた。「豆が入ってるんだわ。ヨーグルト味なんだわ」と言いながら配り、他のお婆さんたちは「ありがとう」といいながら受け取っていた。私は黙々とこのブログを書き続けていたが、そのお婆さんは私の所にも立ち寄り、「よかったらこれ食べな」と丸い菓子を5粒ほど差し出した。「ありがとうございます。いただきます」といって、私は受け取った。一粒口に入れると、甘酸っぱいヨーグルト味が口いっぱいに広がった。中には、柔らかな大豆が入っていた。不思議な味だ。こんな駄菓子は、食べたことがない。そうしているとお菓子配りのお婆さんは、「あら、余ったわ」と言って2週目の配布に入った。私の所にも来て、「はい、お兄さんにも」と2粒を私の手の中に置いた。私はまた「ありがとうございます」とお礼を述べた。完全に子どもになっている気分だ。それにしても、のどかで不思議な温泉だ。
婆さんたちの会話が飛び交う。「そういえばA子さんはどうしているかねぇ」「あん人には私は言いたいことがあるね」「でもあんたが前にぴしゃりといったから、来なくなったねぇ」「そりゃそうよ、あんな勝手なことばっかさせらんねぇよ」などと、私にはとんとわからないやりとりが延々と続く。私はブログを黙々と書き続ける。やがて婆さんたちは、「そろそろ行くべ」と誰となく言うとぞろぞろと、出て行った。迎えが来るのか、バスで帰るのか。
それから一人になった私は、しばらくすると急に温泉の泉質が気になって受付の爺さんのところに行く。「すみません」と声をかけるが出てこない。ドアを開けて中に入り、もう一度大きな声で「すみません」と発する。すると奥から「はい、はい」と姿を現した。「この温泉の泉質はどこに書いてありますか」と、私。「脱衣所にないかね」「脱衣所にはありませんでした」「そうだ、風呂場の廊下にあるよ」「そうですか、見てきます」「ここの温泉は源泉そのもんだからね。いいよぉ」
階段を下りて廊下を注意深く見ると、女湯と男湯の間の壁面に、それも私の頭上の高いところに額に入った温泉成分表なるものが飾ってあった。字も小さく、見えにくい。眼鏡をかけてつま先立ちし、壁に手をかけて精神を集中させる。じっと見つめていると、次第に判読が可能になった。「ナトリウム・マグネシウム・カルシウム・硫黄塩・塩化物質泉」と記載してあった。すごい名前の泉質だ。それを確認したとたん、なんだか急に疲れがとれてきたような気がした。
東京を離れてから今日で十日目、広島・岡山、礼文島、そして富良野・美瑛の撮影が終わり、今はほっとしているような、ハイテンションのような気分である。そのようなわけで、このようなつれづれなるブログと相成った。