私は、くたくたに疲れていた。今年の三月末のことであった。九州での桜撮影が終わってカーフェリーで四国に渡ろうとしている矢先に、愛車が壊れてしまった。それでやむなく撮影を中断し、飛行機で東京に戻ってきたのである。私は羽田から品川に出て、山手線に乗り換えようとしていた。
時間は夕方の5時前頃であっただろうか。到着した電車から数人が出てくると、向かいの右側シートの状況が視界に入ってきた。左端から二十歳前後の若い女性が二人並んで座っていて、その隣が二人分空いていた。さらにその右側にはスーツ姿の神経質そうな四十代の男性が正面を見据えていた記憶がある。私は、茶髪のショートカットをした若い女性の隣に腰を下ろした。彼女は手鏡を覗き込みながら、ぱたぱたとせわしそうにパフで顔をたたいており、化粧に余念がない。あまり感心できる所作ではないがこれまでにも電車内で何度も見てきており、今では見慣れた光景のひとつになっていた。ただ、すぐ隣でずっと小刻みの振動を受け続けていると、少々不快感が湧き上がってくるのも事実であった。
二駅ほど過ぎたところで、小柄な老婦人がその女性の前に立った。すでに車内は満席であり、私は薄目を開けた状態でぼうっとしていた。隣では、相変わらず入念な化粧作業が続けられていた。「ねぇ、あなた」、小声ながらも落ち着いた、それでいて芯のある声が私の右上の頭上から響いた。私は、思わずびくっとした。声をかけられたのは隣の若い女性であり、小刻みに動き続けてきた彼女の手がぴたっと止まった。私は顔を向けることなく、老婦人と若い女性の動きに全神経を集中させた。老婦人は、眼鏡をかけて清楚で品のある雰囲気を漂わせていた。若い女性は、手を止めたと言うよりも、声をかけられたことに驚いて手が止まったというのが真実だろう。そして一瞬のうちに、彼女の視線は老婦人の視線と交わったと思われる。その瞬間に老婦人は、「お化粧はこんな所でするものじゃないわよ」と、静かに優しい口調で語りかけたのだった。気品よりも、優しさがたくさん宿っている響きだった。
私は身動きせずに、半開きの視界の右隅で繰り広げられている様子を固唾を呑んで見守った。「うるせぇ、ババァ」という罵声が若い女性の口から出たとしても、不思議ではなかった。何しろ今時、公の面前で化粧を注意することなどはおよそ考えられないお節介なのだから。だが若い女性は、両手を下ろし、視線も落とし、じっと老婦人の言葉に耳を傾けているのだった。「お家で支度する時間がなかったのね」、とさらにやさしい口調で語りかけた。そのやさしい音色に、私は思わず感動してしまった。若い女性は、化粧道具をバッグの中にしまい込み、それからは、これまでのせわしない動きがウソのようにじっとしたままとなった。いくつかの駅が過ぎ、やがてその老婦人は降りていった。さらに数駅が過ぎて、若い女性も降りた。
その後の私は、眠気や疲れなどを忘れて覚醒していた。そして、目撃したばかりのドラマをじっくりと考えた。強く実感したのは、老婦人の『説得力』である。なぜ若い女性は、反発することなく聞き入れたのか。おそらく、老婦人のマナーについての揺るぎない思いと若き女性に対するそれ以上の優しい気持ちを感じ取り、その説得力に素直に反応したのであろう。久しぶりに本物の説得力いうものを目の当たりにした、感動的な出来事だった。