2018年6月17日の昼過ぎ、北海道の屈斜路湖(弟子屈町)から標津町へ向かっている途中の道路で、ヒグマの糞を発見した。直径20センチほどの大きな糞と近くにはその半分ほどの小さな糞が道路脇に落ちていた。少しも乾燥していない真新しい糞の状況からすると、親子のヒグマが数時間前にここで用を足していたことになる。車が通る道路上で悠然と“大”をしているシャッターチャンスを逃したしたことが惜しまれた。
独り言 -時々のつぶやき-
■ヒグマの糞
更新:2018年10月17日
■クリンソウの群落
更新:2018年08月25日
昨年の6月中旬に、初めてこのクリンソウが咲き乱れる森を訪れた。ここは、北海道津別町の“津別の森”。私の知る限りでは、クリンソウの群生地としてはもっとも規模が大きく、そして風情に満ちた場所ではあるまいか。何しろ、渓流が美しく流れ、そして鮮やかに苔むす森のいたるところに気持ちよさそうに咲き誇っている。
この作品の作画の鍵は、“1/4秒”というシャッター速度だ。渓流の白く泡立つ部分を美しい流線形に表現するためのシャッター速度は、1/4秒以下の低速シャッターである。できれば1/2秒以下がベストだが、この日は常に風が吹いていた。1/2秒ではクリンソウがブレてしまう確率が格段に高くなるために、ここでは1/4秒というぎりぎりのシャッター速度を選択した。それでも、花が風に揺れてブレしまう。風が一瞬止んだのを見計らって何度もトライを重ねるが、花がブレないように撮影できるのは十回に一回程度の割合であろうか。
■2018桜旅
更新:2018年08月13日
前回述べたように、“クマノザクラ”撮影が、今年の桜旅の始まりだった。それから、高知県、熊本県、香川県、福島県、新潟県、岐阜県、北海道などをめぐり、結果的に67ケ所の桜を愛でることができた。道東で桜旅最後のシャッターをきったのは、5月7日だった。
今年は、各地の開花が例年より十日前後早まるという、異常な状況だった。花見や撮影を予定していた多くの人は、たいへんな混乱に陥ったと聞いている。撮影ツアーやイベントなどは、臨機応変に変更できないのがつらいところだ。
私の場合は、是非とも会いたい桜を事前にいくつか決めてはいるものの、あとは旅しながらの出会いに任せる部分が大きい。また、長期間の撮影日程を組んでいることもあって、今年も何の問題もなく、充実した桜旅を味わうことができた。それは、“クマノザクラ”を除いたとしても、ここ10年の中で最も成果の大きい年であったと思うほどである。格別な出会いもいくつかあったが、中でも、道東の山の中で三日間にわたってひとりで見つめ続けたエゾヤマザクラは、まるで夢物語のようであった。満開になるのを願い、次には霧が出るのを願い、さらにはエゾシカが通るのを願ったところ、すべてが叶ったのである。今でも時折、その絶品を眺めては、にたりとしている自分がいる。
■新種『クマノザクラ』の誕生
更新:2018年08月03日
今年の3月13日、私にとっては衝撃的なニュースが飛び込んできた。何と、100年ぶりに(厳密には、オオシマザクラの発見から103年ぶり)自生種の桜として“クマノザクラ”に認定されたというのだ。本当に、驚いた。何しろ、園芸種の桜はおよそ600種類あるのに対して,自生種の桜はわずかに10種類(沖縄のカンヒザクラを除く学説に立つと9種類)しかない。そこに新たな桜が加わることは、予期せぬことだったからだ。
その“クマノザクラ”は、熊野川流域を中心として三重県・奈良県・和歌山県に広く分布しているという。では何故に今頃になって新種と分かったのだろうか。実は、これまでヤマザクラと思われていたものが、今回の詳しい調査の結果、あらためて新種ということが判明したのだ。その特徴は、ヤマザクラに比べて早咲きであること、花の色がピンクであること、花序柄(写真参照=数個の花がまとまっている柄の根元部分)が短いこと、葉の形が小さいこと、などという。
私は、すぐにでもこの桜に会いに向かいたかった。だが仕事が立て込んでいて、ようやく愛車で出発できたのが22日の夜だった。車中泊で迎えた翌日の朝、私は、和歌山県古座川町にあるクマノザクラの標本木(認定された個体)の桜を、胸を熱くしながら見つめていた。満開から一週間ほど過ぎていたためかなり散ってはいたが、3~4割ほどの花がまだ残っていた。クマノザクラの特徴を、じっくりとひとつずつ確認した。一般的なヤマザクラよりも、やはりピンクの色合いが目に付く。心を震わしながら、シャッターをきった。
しばらくしてから、三重県熊野市の丸山千枚田へと急いだ。標高の高いあの地域周辺ならば、クマノザクラはほぼ満開の状態と予測したからである。期待通り桜は見事に咲き誇っていたが、意外なことにカメラマンは誰一人いなかった。世紀の発見というのにどうしたことか、不思議でならなかった。おかげで私は、じっくりとクマノザクラかヤマザクラかの識別を行いながら、二日間にわたって心ゆくまでシャッターをきり続けることができた。本当にしあわせな時間であった。この喜びのお裾分けを、近いうちにみなさんに…。
■台風の功罪
更新:2017年02月01日
2016年10月7日に茨城県大洗港からカーフェリーに乗り、8日に北海道の苫小牧港に到着した。主宰しているフォト寺子屋“一の会”の紅葉撮影会が、まもなく道東で行われる。それに先だって、撮影予定地を下見するという目的があったからである。だがその前に、もうひとつ自分の撮影の楽しみがあった。それは、昨年に続き、鮭の遡上を撮影することだった。
白老町のオヨロ川とある支流が合流する地点が、昨年見つけた撮影ポイントだった。しかし再び訪れると、北海道を何度も襲った今年の台風の影響で、様子が変わっていた。支流との合流地点は少し深い淵とでもいおうか、鮭たちが遡上する順番待ちの待合所だったのだが、そこが土砂で埋まって浅瀬になっていた。そのため、そこを遡上する鮭はほとんどいなくなっていた。カメラの目の前をひっきりなしに遡上する迫力に満ちた光景は、二度と見ることはできなくなってしまった。台風の影響の大きさを、実感せざるを得なかった。
苫小牧港に入港してからすでに感じていたことだが、紅葉の彩りがたいへんに遅れていた。白老町から高速道路に乗り、道東に向かった。撮影予定地の彩りはかなり悪く、葉は青々としている。一方、標高の高い所に向かうと、そこではすでに葉が落ちているではないか。よくよく調べてみると、どうやら“塩害”らしいということがわかった。過去に無いような数度にわたる台風の直撃は、海水の塩分を含んだ雨を至る所に降り注ぐことになったのだ。その結果、木々の葉は痛み、例年の美しい彩りは姿を消していた。
北海道における台風の影響は、今回の秋の撮影に残念な結果をもたらすことになった。だが、嬉しい出来事がひとつ起きていた。それは、国の天然記念物に指定されている阿寒湖の「マリモ」が、救われつつあるという知らせだ。阿寒湖のマリモは、水面を覆うように大量に繁殖した水草によって、瀕死の状況が続いていたという。その水草が台風によって岸辺に打ち上げられ、マリモは生き返りつつあるというのだ。今回ばかりは、台風の珍しい“功”を知り、なんだか少しばかりほっとした。
■ハッチョウトンボの逆立ち
更新:2017年01月08日
この作品は、昨年の真夏に撮影した日本一小さなトンボ、“ハッチョウトンボ”。体長は、わずか2㎝ほどの本当に小さなトンボ。世界でも最も小さなトンボの部類に入る。夏の暑いときに元気に飛び回っているが、撮影するこちらはたいへんだ。汗だくで探し求め、炎天下で必死に撮影しなければならならない。スポーツ飲料は、とても一本では足りない。今回は、35度を超える猛暑日の中、二日間にわたって2リットル以上を飲み干した記憶がある。
ハッチョウトンボは、観察を続けていると、たいがいは太陽の方向におしりを向けて止まっているのがわかる。朝の太陽が低い位置にある時間帯は、体を水平にしている。だが、太陽が上に昇るにつれて、次第におしりを上げていく。そして太陽が真上の位置になる頃は、ご覧のような逆立ちの勇姿を披露する。つまり、太陽光線と平行の姿勢を取ることによって直射日光を最小限にとどめ、熱さによる体力の消耗をできるだけ少なくしているらしい。君は、小さな体ゆえにバテやすいということなのか。では尋ねたい。それならば、なぜ日陰に行かないのか。なぜ、逆立ちをしてまでわざわざ暑いところでにいるのか。止まる草に、場所に、特別な何があるというのか。ぜひとも、聞いてみたいのだがなぁ。
■120年に一度咲く花
更新:2016年10月29日
6月中旬のことであった。何気なくパソコンのネットニュース一覧を斜め読みしていると、「120年に一度咲スズタケが開花」という文字が目に飛び込んできた。今年の1月に「-日本列島-花乃聲」を発表したばかりの私にはとても刺激的な言葉であり、響きだった。目を見開いて文字を追っていくと、“スズダケ”という竹の一種の花が、愛知県の設楽町で120年ぶりに咲いているというではないか。
私は、体の中の血がたぎるような感覚を覚えた。これまでの100年以上も、そしてこれからの100年以上も、この花を見ることはない。しかし今、「自生する花」に格別の思いで取り組んでいる今日のタイミングで、まさに出会うことがかなわんとしている。何という巡り合わせであろうか。
翌日の早朝に、私は車を走らせていた。東京から愛知県まではけっこうあるが、とてつもない花に出会える歓びで、一気に走り抜けた。若かりし頃の初めてのデートとどちらの興奮度が高かいであろうか、と思うほど胸が高鳴り続けた。
昼過ぎに、山間の静かな池の湖畔に辿り着いた。未舗装の駐車場には、車が数台止まっていた。小さな建物には管理人さんがいて、釣り人にとって隠れた人気の池ということがわかった。スズダケのことを尋ねると、池の周囲の道端に咲いているという。そそくさと撮影の身支度を済ませると、私は注意深く歩き始めた。するとまもなく、道端に枯れた笹の茂みが目に留まった。その背丈は、膝上から腰あたりの高さであろうか。しゃがみ込んでよく見ると、枯れた笹の上部から細い茎が伸び、その先に浅黄色の細長い米粒のようなものが付いているではないか。それは、あまりにも小さく、あまりにも質素な姿ではあった。だがじっと見つめていると、それゆえにいっそう神秘性が高いようにも思えた。この出会いが最初にして最後だと思うと、なんだかじんじんと胸が熱をもち始めた。まさしく、「一期一会」の重さであった。
■手紙とメール
更新:2015年09月12日
8月のある日、何気なくテレビをつけると、“手紙で結ぶ宿”という内容の番組が流れていた。舞台は、岩手県野田村の静かな山間に佇む宿である。その宿は築150年ほどの南部曲がり屋で、50代(という紹介だったと思う)のご夫婦が営む部屋数3部屋の民宿であった。凄い山奥などというわけではなく、車で行くこともできて、バス停からも徒歩5分である。だが驚いたことに、この民宿には電話はなく、もちろんインターネットもなく、予約などの連絡はすべて手紙によって行われるということであった。
ご夫婦は、送られてきた手紙を読み、申し込んできた人を思い、料理などを考え、やがて出迎えるという。「時間をかけてお客さんと近づいていくことが嬉しい(“嬉しい”だったか、“大切”だったか、記憶は定かでない)」ということを、奥様が話されていた。
何事にもスピードが求められる今時、手紙という最も遅い伝達手段によって成り立っている宿が、この日本に存在している。しかもこの宿には、国内外に熱烈なリピーターがけっこういるという。
現代社会では、経済活動を含めてできるだけ速い対応が求められ、速ければ速いほど高く評価され、価値が生まれる。その結果、伝える側も電話ではなく、一方的に伝達を遂行できるメールという手段が重宝されることになった。そしてたとえ友人であっても、メールの返事が遅れることは円滑な関係を保つ上でマイナス評価となってしまう。まして、返事が24時間を超えてしまうことなどは、大方は許されないだろう。
迅速なやりとりというものが、政治・経済活動の範囲を超え、私生活にまで求められるようになってきたのはいつからであろうか。私たちがこのようにせっかちになってしまったのは、どうしてなのだろうか。
そんなことを考えていたら、ふと“熟成”なることばが浮かんできた。時間を費やし、時間を酵母として発酵させ、熟成することによって形成される大切なものが、まだまだたくさんあるのではなかろうか。今夜は久しぶりにワインでも飲みながら、ゆっくり考えてみたくなった。
■写真のチカラ(2)
更新:2015年08月29日
7月に、山形県酒田市にある『土門拳記念館』を訪れた。実は、土門拳(敬称省略で恐縮)は私が敬愛する写真家である。これまで、写真雑誌のインタビューなどで「尊敬する写真家は誰か」という質問には、その名前を挙げてきた。私がアマチュア時代に、ふとしたことで一冊の写真集「筑豊のこどもたち」を手に入れたときから、敬愛の念は築かれた。涙を流しながらシャッターをきったという人間性と姿勢、そして必死に生きるこどもたちの作品のチカラに、私は大きな衝撃を覚えたのを今でもはっきりと覚えている。
土門拳記念館では、「戦後70年特別企画・土門拳が視た昭和」の企画展が催されており、モノクロ写真が160点あまり展示されていた。「筑豊のこどもたち」や「ヒロシマ」の作品も含め、激動の昭和をとらえた数々の作品を見つめながら、久しぶりにいいしれぬ感動に酔いしれた。
その数日後に、今度は東京で『林 忠彦 写真展:カストリ時代1946-1956 & AMERICA1955』(キヤノンギャラリー)を鑑賞できる機会に恵まれた。ご子息の林義勝さんは、私がとても親しくさせていただいている写真家である。戦後のアメリカの描写も新鮮だったが、何よりも林忠彦(これまた敬称省略で恐縮)の代表作である「カストリ時代」は、力強かった。戦後のカオスの中で躍動的に生きる日本人の姿に強く引き寄せられ、その時代のエネルギーの磁力に触れることができた。
土門拳と林忠彦という二人の作品を続けて鑑賞したあとに、あらためて“写真のチカラ”を考えさせられた。
今や撮影機材はデジタルカメラが主流となり、解像力などの進化は目を見張るものがある。毎年のようにカメラの画素数の競争が繰り広げられ、誰もが精緻な描写ができるようになった。また、画像処理ソフトも高度化し、誰もがコンピュータグラフィックデザイナーになりつつあるようだ。しかし、である。いろいろなフォトコンテストで審査をしていても、心に響く力作が前よりも増えたという実感は、ない。
一方、土門拳・林忠彦の二人のスナップ作品は、35ミリ一眼レフカメラと旧フィルムで撮影されたものである。はっきり言って、画質などは現在のデジタル作品に比べてかなり劣っている。けれども、迫ってくる作品のチカラは、圧倒的に凄い。
作品のチカラは、何か。私たちはその根本なるものをもう一度考え、再認識すべき時にさしかかっているように思える。
■写真のチカラ(1)
更新:2015年08月19日
この一年、写真のチカラについて見解を求められることがけっこうあった。「いい写真とは何か」「審査における選考基準はどういうものか」「優れた作品の条件とは何か」など、ニュアンスに差はあるが、写真のチカラについて問われるものであった。記事となって掲載されたり、セミナーで話したりしてきたが、このブログでも少しばかりつぶやいておきたいと思う。
ひとことでいうと、「写真=作品を鑑賞する(審査する)人をどれほど感動させるチカラがあるか」が、共通したモノサシとなろう。ただ、チカラの具体的な構成要素は、写真のジャンルによって部分的に異なってくる。ここでは、いわゆる“ネイチャー部門”について述べてみたい。
私は、構成要素の関係性を次のように考えている。
「写真(作品)のチカラ」=(技のチカラ+被写体のチカラ+創造性のチカラ)×魂のチカラ
第一の要素は「技(撮影・仕上げ)のチカラ」であり、その内訳は、画面構成・フレーミング、露出、被写界深度、シャッター速度、カメラ位置、画質(ハレーションの問題なども含む)、色調・階調・コントラスト、などとなろう。
第二の要素は「被写体のチカラ」であり、内訳としては被写体の魅力、シャッターチャンスの難易度、被写体の新鮮度、などがあげられる。“被写体の魅力”とは、色彩や造形の美しさ、迫力やスケール感、そして希少性などである。素材としての“シャッターチャンスの難易度”とは、どれほどの確率で出会うことができるかという“運”と“努力”の尺度である。
そして“被写体の新鮮度”とは、被写体としての目新しさはどうかという尺度である。たとえ被写体としての魅力があり、シャッターチャンスの難易度が高いものであっても、既に何度も発表されている場合は、被写体の新鮮度は低くなろう。
第三の要素は「創造性のチカラ」であり、具体的には、着眼点や発想の独創性、作品の物語性、などである。“着眼点や発想の独創性”とは、多くの人を「おっ」と思わせる斬新な視点であり、その人の感性や個性に基づくものであったり、熱心な研究の成果であったりする。また、“作品の物語性”とは、単に美しいとか迫力があるなどだけではなく、歴史や伝統、生命、環境などのひと味違う物語を内包することによるチカラである。
そして第四の要素は、「魂のチカラ」と考えている。シャッターをきる本人が、描こうとしている被写体に対してどれほど感動し、どれほど心を込めてシャッターをっているか、という視点である。端的にいえば、どれほど作品に魂を込めているか、である。例えば、「ありがとう」という感謝のことばの重みは、声としての明瞭さや大きさなどではなく、心の中でどれほど感謝しているかによって相手に伝わる重みが変わるのと同様である。
以上の四つの要素が融合し、個々の写真=作品のチカラとなって第三者に訴えるというのが、私の考えである。